【ハルシオンブログ】ハルシオン坂内の原体験?え?だらだら今までを書いてみたよ。
こんにちは。坂内っす。
技術ネタが現在枯渇中なので、本日は読み物です。
ちょい前に原体験についての話が盛り上がってたので、ハルシオンの表の顔こと坂内の原体験をちゃちゃっと書いてみます。
と言っても、原体験なんてあるんだろうか?
時は幕末。
から時代は進み…
それでは、長いですが、お付き合いくださいませ。
●小学
1983年ファミコンが発売されました。
当時6歳だった僕は、ファミコンというものに憧れた。
一人っ子だったため、基本ほしいものは手に入ってた方だと思う。
しかし、記憶にあるのはファミコン本体はないのに、アイスクライマーとエキサイトバイクのカセットだけが手元にあったことだ。
この頃からゲームに耽っている人生が始まった。
当時の友人の家に行きファミコンばかりをしている毎日。
家に帰ってももちろんファミコン。
色々なゲームをやったね。
ロードランナー、アーバンチャンピオン、ゼビウス、バルーンファイト、めぼしいものは一通りやった。
当時となり駅のゲームソフトを売っているお店で、300円くらいでで1時間ゲームし放題というのがあった。
ゲームし放題というのは何かというと、お店にファミコンやら、PCエンジンやらの本体があり、やりたいソフトを手渡しされ、その場で遊べるというもの。
このシステムはこのお店しか見たことない素敵なものだった。
●中学
中学生になり、新しい友達が増えた。
その中で数名濃いのがいて、X68000を持っているやつ、、FM-Townsを持っているお金持ちのぼっちゃん、PC8001を持ってるおっさんくさいやつ。
こんなのが周りにいるもんで、パソコンというものに触れる機会が増えたころだ。
なんなんだ。
とある日、ちょうど家の近く(徒歩2分くらい)のやつがPC8801-MK2を貸してくれるということで、家から台車をもって借りに行ったものだ。
初めて家にパソコンがきた瞬間である。
一緒に借りてきた雑誌(だったかな?)に書いてあるプログラムを打ったのが初めてのプログラミング。
ランダムの色のドットを、画面上のランダムな位置にプロットしていくだけのものであった。
そう、きれいな星空ができるのだ。
この時の感動はいまだに忘れた。
でも、それが初めてのプログラミングだというのは未だに覚えている。
その後、MSX1、MSX2、MSX2(ディスクあり)、TurboRと買ったのはいい思い出。
もちろん高くてそんなに買うことができないが、使ってた中古のMSXを友達に売りつけるテクニックは今考えてもすごかった。
そしてこの頃MSXFANというMSXの雑誌がありまして、そこにある格闘ゲームのプログラムを解読しながらいじっていたのはいい思い出。
●高校
高校になったころには、MSXではなくPC98に移行していたかな。
また、よく遊ぶジャンルも格闘ゲームになっていた。
毎日のようにゲーセンに遊びに行ってたのもこの時期。
ちょうどスト2、KOFなどの全盛期。
格ゲー好きには一番ゲーセンに浸っていたい年代ですね。
そしてNEOGEOのROMを買うことになる。
ほら、うちがゲーセンだよとばかりに友達を呼んでは格ゲー大会の日々だった。
●大学
相変わらずゲームばかりをやっている人生。
この頃、「2D格闘ツクール95」というものがあった。
格闘ゲームを作るってツールだ。
この時、プレイステーションのKOFのキャラをPROアクションリプレイを使い1コマ1コマ吸出し、ドットを整形し、キャラを2D格ツクに移植してた。
めちゃくちゃこだわって作っていたため、この頃のブログでキャラを配信していたが、評価は上々だった。
まずは、動きを製品版と同じレベルまでもっていき、そこから新しい技とかを追加していたな。
その後「EverQuest」と出会ってしまう。
ここからネットゲー人生が始まるのある。
EverQuestではVeeshanというサーバで日本人を集めた、ギルド「IMPACT」を立ち上げ。100人くらいを集めブイブイ言わせてた。
大学>バイト>朝までEQ。
完全にこの頃ぶっ壊れてたね。
とりあえず全サーバーの日本人ギルドでもTOP3くらいには入ってたんじゃないかな。
●就職1
大学卒業後、とあるコネから会社に入るが、やばかった。
起きるの5時、帰宅2時とかの会社だったので、ゲームどころじゃなかった。
メーカーの機器、組み立てライン等だったので、プログラムとは一切関わらない仕事。
つまらないし、色々ある会社だったので、2年で辞めました。
●専門学校
仕事をしている時に、ネットワーク系の仕事もちょこっとやり、面白そうということで、ネットワークシステム科に入学。
学校では基本情報、CCNA、SJCP等の資格を取り、部活を設立。
プログラミングの部活を作り、経済産業省のプログラミングコンテストにも入賞。
CISCOのルーターシミュレータを7人くらいで開発。
(今見るとしょぼいけどね)
http://www.u22procon.com/archives/work/2004/group_03.html
専門学校では、首席で卒業。ってか専門に首席とかって言葉あるのか知らんけど。
●就職2
専門卒業後、メーカー系の孫会社に就職。
現場にでるも、2年後にリーダーの話が部長から来たんだけど、そのタイミングで新人研修の時の他の会社の人から声を掛けられていて、一緒に独立。
2年半くらいしかいなかったかな…
●独立1
一緒に独立した人は営業職の人。
始めはスキューバダイビングのSNSを作ろうと。
お店からのマージンを頂き、サイトで紹介し、予約もそこからできるサイトということで始まった企画。
スキューバのお店に話を持ち込むも、「スキューバは命を預かるものだから、そんなサイトで一元さんが来られても困る。」と言われ。
速攻断念。
うそーん。こっち会社辞めてまで君に付き合ったのに、もうあきらめるの?
その後の企画ではネイルのサイト「NailsWalker」を立ち上げ運用。
運用していると、とある会社からメールが1通…「Walker」って名前を勝手に使わないでください。
今後もそのまま運用する場合は訴えますと。
そうです。あの会社さんから注意が入りました。
その後サイトをまるっと変更し、「Dail」(デコとネイル)のサイトを立ち上げました。
登録した方達が、自分のネイルの写真をアップし、みんなからコメントをもらえるというサイト。
今うまくやれば、行けるんじゃないかな?
だれか一緒にやりません?
もちろん相方は営業。何もしない。
結局俺が一人でサイトを2回作るが、相方は何もしないで、お金ももらえない。
もうやってられんと、転職。
なんで営業の人って口だけなんすかね。
「〇〇件取れたよー いくらになるよー」っていうけども、1円も入ってこない。あーこわい。
第一取れた証拠も資料もなにもない。口だけでしょ?
●就職3
ここはシステム屋
色々やりましたが、やはり一番思い出に残るのが、「新人研修の講師」ですね。
ちょうどこのころの新人さんが、男2女6くらいの素敵な陣で、とても楽しく新人研修をさせて頂きました。( ´艸`)
この頃であった客先のゲームとお酒が好きなお客様。
飲みまくって仲良くなったのが今の相方。
今からちょうど6年前くらいですね。
「アプリ作ればお金入るらしいで」「俺達プログラムできるから作れんじゃない?」
この二言から始まったのが現ハルシオンシステム。
この話をし、土日でアプリ作ってみようぜ。
ゲームが好きな二人が実行できるわけがない。
家に帰ればゲーム。
土日は1日中ゲーム。
え?いつ作れるの?
「まず会社やめよう。自分達で会社作れば仕事時間にゲーム作れるじゃん」
●独立2 ㈱ハルシオンシステム
ゲームなんて作ったことはない。
作り方も知らない。
そんな二人がアプリを作る前に作った会社が株式会社ハルシオンシステム。
起業してから、色々な勉強な日々が続きました。
気が付いたら今日6月4日がハルシオンシステム6年目じゃないですか!
やだー!
そうですか。6年目ですか。
稼げてないけど、6年目入っちゃいましたね!!
まずは目指せ10年!!!
ってことで、原体験なのか、俺の人生なのか、よくわからない書きものになってしまいました。
文章書くの苦手ですいません。
最後まで読んでくださった方ありがとうございます。
ふらっふらした人生ですが、今も元気に生きています。
今後も頑張っていくので、おひねりを・・・・ポケガに課金お願いします!
ではあでゅ~ノシ
技術ネタが現在枯渇中なので、本日は読み物です。
ちょい前に原体験についての話が盛り上がってたので、ハルシオンの表の顔こと坂内の原体験をちゃちゃっと書いてみます。
と言っても、原体験なんてあるんだろうか?
時は幕末。
から時代は進み…
それでは、長いですが、お付き合いくださいませ。
●小学
1983年ファミコンが発売されました。
当時6歳だった僕は、ファミコンというものに憧れた。
一人っ子だったため、基本ほしいものは手に入ってた方だと思う。
しかし、記憶にあるのはファミコン本体はないのに、アイスクライマーとエキサイトバイクのカセットだけが手元にあったことだ。
この頃からゲームに耽っている人生が始まった。
当時の友人の家に行きファミコンばかりをしている毎日。
家に帰ってももちろんファミコン。
色々なゲームをやったね。
ロードランナー、アーバンチャンピオン、ゼビウス、バルーンファイト、めぼしいものは一通りやった。
当時となり駅のゲームソフトを売っているお店で、300円くらいでで1時間ゲームし放題というのがあった。
ゲームし放題というのは何かというと、お店にファミコンやら、PCエンジンやらの本体があり、やりたいソフトを手渡しされ、その場で遊べるというもの。
このシステムはこのお店しか見たことない素敵なものだった。
●中学
中学生になり、新しい友達が増えた。
その中で数名濃いのがいて、X68000を持っているやつ、、FM-Townsを持っているお金持ちのぼっちゃん、PC8001を持ってるおっさんくさいやつ。
こんなのが周りにいるもんで、パソコンというものに触れる機会が増えたころだ。
なんなんだ。
とある日、ちょうど家の近く(徒歩2分くらい)のやつがPC8801-MK2を貸してくれるということで、家から台車をもって借りに行ったものだ。
初めて家にパソコンがきた瞬間である。
一緒に借りてきた雑誌(だったかな?)に書いてあるプログラムを打ったのが初めてのプログラミング。
ランダムの色のドットを、画面上のランダムな位置にプロットしていくだけのものであった。
そう、きれいな星空ができるのだ。
この時の感動はいまだに忘れた。
でも、それが初めてのプログラミングだというのは未だに覚えている。
その後、MSX1、MSX2、MSX2(ディスクあり)、TurboRと買ったのはいい思い出。
もちろん高くてそんなに買うことができないが、使ってた中古のMSXを友達に売りつけるテクニックは今考えてもすごかった。
そしてこの頃MSXFANというMSXの雑誌がありまして、そこにある格闘ゲームのプログラムを解読しながらいじっていたのはいい思い出。
●高校
高校になったころには、MSXではなくPC98に移行していたかな。
また、よく遊ぶジャンルも格闘ゲームになっていた。
毎日のようにゲーセンに遊びに行ってたのもこの時期。
ちょうどスト2、KOFなどの全盛期。
格ゲー好きには一番ゲーセンに浸っていたい年代ですね。
そしてNEOGEOのROMを買うことになる。
ほら、うちがゲーセンだよとばかりに友達を呼んでは格ゲー大会の日々だった。
●大学
相変わらずゲームばかりをやっている人生。
この頃、「2D格闘ツクール95」というものがあった。
格闘ゲームを作るってツールだ。
この時、プレイステーションのKOFのキャラをPROアクションリプレイを使い1コマ1コマ吸出し、ドットを整形し、キャラを2D格ツクに移植してた。
めちゃくちゃこだわって作っていたため、この頃のブログでキャラを配信していたが、評価は上々だった。
まずは、動きを製品版と同じレベルまでもっていき、そこから新しい技とかを追加していたな。
その後「EverQuest」と出会ってしまう。
ここからネットゲー人生が始まるのある。
EverQuestではVeeshanというサーバで日本人を集めた、ギルド「IMPACT」を立ち上げ。100人くらいを集めブイブイ言わせてた。
大学>バイト>朝までEQ。
完全にこの頃ぶっ壊れてたね。
とりあえず全サーバーの日本人ギルドでもTOP3くらいには入ってたんじゃないかな。
●就職1
大学卒業後、とあるコネから会社に入るが、やばかった。
起きるの5時、帰宅2時とかの会社だったので、ゲームどころじゃなかった。
メーカーの機器、組み立てライン等だったので、プログラムとは一切関わらない仕事。
つまらないし、色々ある会社だったので、2年で辞めました。
●専門学校
仕事をしている時に、ネットワーク系の仕事もちょこっとやり、面白そうということで、ネットワークシステム科に入学。
学校では基本情報、CCNA、SJCP等の資格を取り、部活を設立。
プログラミングの部活を作り、経済産業省のプログラミングコンテストにも入賞。
CISCOのルーターシミュレータを7人くらいで開発。
(今見るとしょぼいけどね)
http://www.u22procon.com/archives/work/2004/group_03.html
専門学校では、首席で卒業。ってか専門に首席とかって言葉あるのか知らんけど。
●就職2
専門卒業後、メーカー系の孫会社に就職。
現場にでるも、2年後にリーダーの話が部長から来たんだけど、そのタイミングで新人研修の時の他の会社の人から声を掛けられていて、一緒に独立。
2年半くらいしかいなかったかな…
●独立1
一緒に独立した人は営業職の人。
始めはスキューバダイビングのSNSを作ろうと。
お店からのマージンを頂き、サイトで紹介し、予約もそこからできるサイトということで始まった企画。
スキューバのお店に話を持ち込むも、「スキューバは命を預かるものだから、そんなサイトで一元さんが来られても困る。」と言われ。
速攻断念。
うそーん。こっち会社辞めてまで君に付き合ったのに、もうあきらめるの?
その後の企画ではネイルのサイト「NailsWalker」を立ち上げ運用。
運用していると、とある会社からメールが1通…「Walker」って名前を勝手に使わないでください。
今後もそのまま運用する場合は訴えますと。
そうです。あの会社さんから注意が入りました。
その後サイトをまるっと変更し、「Dail」(デコとネイル)のサイトを立ち上げました。
登録した方達が、自分のネイルの写真をアップし、みんなからコメントをもらえるというサイト。
今うまくやれば、行けるんじゃないかな?
だれか一緒にやりません?
もちろん相方は営業。何もしない。
結局俺が一人でサイトを2回作るが、相方は何もしないで、お金ももらえない。
もうやってられんと、転職。
なんで営業の人って口だけなんすかね。
「〇〇件取れたよー いくらになるよー」っていうけども、1円も入ってこない。あーこわい。
第一取れた証拠も資料もなにもない。口だけでしょ?
●就職3
ここはシステム屋
色々やりましたが、やはり一番思い出に残るのが、「新人研修の講師」ですね。
ちょうどこのころの新人さんが、男2女6くらいの素敵な陣で、とても楽しく新人研修をさせて頂きました。( ´艸`)
この頃であった客先のゲームとお酒が好きなお客様。
飲みまくって仲良くなったのが今の相方。
今からちょうど6年前くらいですね。
「アプリ作ればお金入るらしいで」「俺達プログラムできるから作れんじゃない?」
この二言から始まったのが現ハルシオンシステム。
この話をし、土日でアプリ作ってみようぜ。
ゲームが好きな二人が実行できるわけがない。
家に帰ればゲーム。
土日は1日中ゲーム。
え?いつ作れるの?
「まず会社やめよう。自分達で会社作れば仕事時間にゲーム作れるじゃん」
●独立2 ㈱ハルシオンシステム
ゲームなんて作ったことはない。
作り方も知らない。
そんな二人がアプリを作る前に作った会社が株式会社ハルシオンシステム。
起業してから、色々な勉強な日々が続きました。
気が付いたら今日6月4日がハルシオンシステム6年目じゃないですか!
やだー!
そうですか。6年目ですか。
稼げてないけど、6年目入っちゃいましたね!!
まずは目指せ10年!!!
ってことで、原体験なのか、俺の人生なのか、よくわからない書きものになってしまいました。
文章書くの苦手ですいません。
最後まで読んでくださった方ありがとうございます。
ふらっふらした人生ですが、今も元気に生きています。
今後も頑張っていくので、おひねりを・・・・ポケガに課金お願いします!
ではあでゅ~ノシ
Category: その他日記
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